2017年1月31日火曜日

白川左兵衛

「殻の身に実を求める者」

 星川前橋旅団新田中隊(日本民主共和国軍関東師団)士官、後に軍閥の一人。「ただの器」と呼ばれるほど凡庸な人材で、軍に志願する積極的な動機もなかったのだが、星川共和国上杉橄欖の政権顧問たる林鵬の推挙もあり、前橋旅団新田中隊に編成され、世良田興家の与力。

憑き物の器
 世良田は星川初から前橋県主席・旅団長の権限を勝ち取っていた上に、馬坂越後守からの軍需支援もあり、いずれは星川からの独立など東国の枢軸たらんと企図しており、白川もその尖兵として訓練を受けさせられた。やがて青鳥事変(第五次埼京戦争)に伴う関東平野の混乱に乗じ、新田中隊と共に相模へ侵入する事になったが、その際に突如として軍事行動を決意した。

石橋山の戦い
 相模県令として中立を守っていた一条能恒を排除し、鎌倉に軍事政権を樹立して星川から独立、更に大宮出撃で後背が手薄になっている東京を狙わんとした。しかし、戦時武断政治によって多数の難民を発生させてしまい、この事態に直面した伊豆十三宮聖は、住民保護の名目で駿河旅団を箱根に進駐させた。白川は自ら小田原に布陣し、南西の石橋山で十三宮軍を撃退せんとするが、横浜で抵抗を続ける一条県令派との二正面作戦が祟り、苦戦を余儀なくされる。戦線維持の困難を悟った白川は、生き残った新田中隊精鋭を伴って急転進し、聖徳皇帝を確保すべく東京を目指すが、国民軍第六師団が討伐に動き、多摩川渡河中に橋を爆破された。

浄瑠璃
 戦後裁判では、白川の軍事行動を悪政(青鳥政権は無血クーデター体制である)に対する抵抗権・革命権の行使として免罪するかが争点になったが、東京入城には「皇帝救出」という官軍的解釈も可能である事、そして白川の言動がトランスによる心神喪失状態であったため釈放。かつての敵である十三宮家からも「シャーマン」と見なされ厚遇を受け、蒲田矢口渡で後半生を送ったと云う。
  • この記事は、八幡景綱氏が著作権を有する小説の登場人物「白川亮」の設定を、十三宮顕が自作品の世界観に基づいて再構成した物です。

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