2016年12月31日土曜日

一条能恒

 相模神奈川)県令・旅団長、国司「相模守」とも称す。藤原氏北家・鎌倉一条家の末裔とされるが、摂関家とは無縁。

 橘立花十三宮勇青鳥閥が無血クーデターで東京政府を掌握し、聖徳皇帝吉野首相の意向を無視して大宮寿能城への侵略を強行した青鳥事変に際して、一条県令は中立的態度を取り、旅団をほとんど動員しないなど、相模が戦乱に巻き込まれるのを回避せんと試行錯誤した。この時、西方に接する伊豆駿河では十三宮聖堀越碧が独自の軍事行動を開始していたが、彼女らとも「ホットライン」で相互不可侵を密約した。

 しかし、領内に潜入していた白川左兵衛星川前橋旅団新田中隊)が突如決起して鎌倉を占領すると、一条は横浜に拠ってこれと対峙。また、県内に駐屯する国民軍第六師団との交渉にも尽力した。

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